沖縄の伝統工芸琉球漆器のことなら沖縄県那覇市の角萬漆器


琉球最古の老舗角萬漆器

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角萬漆器
角萬漆器の歴史
角萬漆器の前身である「嘉手納漆器店」は、琉球王朝時代からの歴史と伝統を受け継ぐ琉球漆器の老舗で、太平洋戦争前には、沖縄県那覇市若狭町にありました。
戦前の若狭町は沖縄唯一の「ヌイムンマチ(塗り物町)」であり、角萬漆器の創業者で嘉手納漆器店の四代目である嘉手納並裕氏によると
「町のあちこちの石垣の上には、下地に使うクチャが、かわらの皿に盛られて干されていたり、荒びきしたデイゴ材が軒の下で出番を待っていた。また家の中からはひき物の音が聞こえ、あの独特な漆のにおいが漂ってきた。」

※クチャ=沖縄の泥岩

(沖縄タイムス社刊「私の戦後史」より)

という情景の町だったそうです。
戦後、並裕氏はビールの空き缶を塗装した筆入れや米兵のジャンパーに絵を描くような仕事から始めて、昭和23年に嘉手納漆器店を再開しました。
戦後間もない頃で、物資は不足し、漆はおろか木綿のボロ布ですら入手困難であったといいます。
しかも漆器はなかなか売れなかったようです。
当時、県内の人々は衣食住が最優先で、とても漆器を買う余裕がなかったのです。
それでも米兵のお土産品として、小さな鳥居や、箱物を作って売り出しました。
最初に漆器を求めたのは、料亭などでした。
会席膳や吸い物椀などの注文が入る様になりました。
また、一般の人々が漆器であるトートーメー(位牌)などを求めてくるようになります。
嘉手納漆器店にトートーメー(位牌)の注文が多く来るようになったのは、嘉手納漆器店が「ヌイムンカデナー(塗り物の嘉手納)」と呼ばれるほど沖縄で知られた漆器店だったことと、二代目嘉手納並輝氏がトートーメー作りでは名人と呼ばれる腕前だったことがあったようです。
戦後の沖縄の社会情勢が落ち着いてくると、一般の人々が重箱や椀類などを買い求めてくるようになりました。
並裕氏は、事業の目処が立ってきたことで事業の拡大を決意し、昭和33年に三代続いた「嘉手納漆器店」を現在の「角萬漆器」に改称し、那覇市前島に工房を建設しました。
その後、昭和47年の本土復帰などを経て琉球漆器の生産高は紅型や焼物をしのぐほど拡大します。
この頃沖縄の漆器業界は、木地であるデイゴ材の入手難から「バガス」という合成材を利用するようになっていましたが、並裕氏はデイゴ材との品質差と、伝統工芸である琉球漆器の将来に不安を感じ、昭和四十九年以降、バガス利用をやめています。
伝統的な琉球漆器を愚直に作りつづけることを目指した並裕氏は、昭和五十四年に「現代の名工」として労働大臣賞を受賞し、伝統工芸技能功労者として勲六等瑞宝章を受章しています。
これは漆工芸では初めての叙勲でした。
並裕氏は、
「いくつになってもこの仕事を続けていたい。そして、一つでも後世に残るような作品を作りたいと、今その構想を練っているところだ」

(沖縄タイムス社刊「私の戦後史」より)

と語っています。
現在の角萬漆器は、この現代の名工、嘉手納並裕氏の志を受け継ぎ、伝統を将来に承継する責任を負った漆器工房として、優れた製品の生産と、後世に残る作品の発表を目指しています。

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